出身大学

あの方、この方の出身大学(出身高校)は?大学情報も併せて・・

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田中耕一さんの出身大学と出身高校

   

田中耕一さんはご存知、ノーベル化学賞を受賞した研究者で、現在東北大学の名誉博士かつ東京大学医科学研究所客員教授等を務めています。

富山県の出身で、富山中部高等学校から東北大学に進学しました。小学校は富山市立八人町小学校(現・富山市立芝園小学校)、中学校は富山市立芝園中学校を卒業しています。

富山中部高等学校 ⇒ 東北大学

東北大学では工学部を卒業し、そのまま島津製作所に勤務しました。大学院に進学せず企業で研究の道に進んだわけですが、ノーベル賞受賞時の肩書は「会社員」であり、色んな意味で社会を元気づけてくれた「ノーベル賞」だったような印象です。

ノーベル賞の受賞が決まった2002年には、マスコミで「田中さん」という呼称が度々流れ、田中耕一さんの率直な、飾らない人柄が伝わってくるようでした。作業服でのインタビューや何かの折には長靴を履いていたり、面白がっては失礼ですが、ほのぼのしたノーベル賞受賞者の姿が当時、たいへん新鮮でした。

 

田中耕一 (たなかこういち)

生まれ:    1959年8月3日
出身:富山県
1975年:(推定)富山中部高校入学
1978年:(推定)東北大学入学
1983年:東北大学卒業、島津製作所入社
1987年:「ソフトレーザー脱離法」の発表(後のノーベル賞受賞につながる)
1995年:お見合いで結婚
2002年:ノーベル化学賞受賞、文化勲章受賞
2003年:田中耕一記念質量分析研究所長
2012年:島津製作所 シニアフェロー就任
2014年:血液からアルツハイマー病の原因物質を検出できる段階に研究が進む
2018年:アルツハイマーの原因物質とされるアミロイドの脳内蓄積の検出法を発表
その他研究実績多数、複数の国立大学で兼任職を務める

 

 

2018年1月末に、田中氏らの研究の画期的な発表が報道されたばかりです。記者会見には田中耕一氏も参加しました。

国立長寿医療研究センターと島津製作所などの研究グループは、微量の血液からアルツハイマー病の発症に影響するとされるタンパク質などを計測し、アルツハイマーにつながる病変の有無を早期に高精度で判定できる技術を開発した。

31日付のネイチャーオンラインに発表した。

(アルツハイマー病、血液で判定 治療薬開発に期待 産経ニュース1月31日より)

 

ノーベル賞の契機となった「発見」について田中氏はまったくの偶然と述べていますが、専門的な内容とはいえ、田中氏の人柄からの謙遜なコメントという面もあるでしょう。

 

きっかけは1985年の「偶然の発見」だった。田中氏は当時,島津製作所中央研究所の研究員として,先輩研究員の吉田佳一氏(現在はマイクロ化学プロセス技術研究組合に出向中)とともに,高分子試料に別の物質を混ぜたうえでレーザーを当てる実験に取り組んでいた。レーザーを効果的に吸収する媒質(マトリックス)の中にタンパク質を分散しておけば,マトリックスが急速に加熱されてタンパク質分子もろとも気化,タンパク質分子そのものは無傷のままイオン化する可能性があると考えた。

「まったくの偶然」  

マトリックス材として金属の微粉末や有機物などを試したが,いずれもうまくいかなかった。ところが,コバルトの微粉末に誤ってグリセリンをたらし,これをマトリックスとして使ったところ,うまくイオン化した。「まったくの偶然で,まさに瓢箪から駒」と田中氏は述懐している。  

こうして分子量4万8000程度のタンパク質分子の分析が可能になり,1987年に学会発表。当初はそれほど注目されなかったが,米国の研究者が強い関心を寄せ,翌年の論文発表につながったという。

 

(日経サイエンス  2002年12月号 http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0212/tanaka.html より)

 

 

 

最近のニュースで久しぶりにお見かけした田中耕一氏は頭が少し白くなっておられて、年月の流れも感じました。といっても研究者としてまだまだお若いので、今後もたくさんの活躍を見せていただけることでしょう。

 

出身大学は東北大学、出身高校は富山中部高等学校

富山中部高等学校は富山県の代表的な進学校と言って良さそうです。1920年に旧制中学の神通中学校として始まりました。ほぼ全員が大学へ進学しており、金沢大学等への進学が多いそうです。たしかに県を代表する公立高校には、他県でもそういった傾向がありそう。

富山県高校偏差値

富山県富山市芝園町3丁目1−26

富山中部高校の出身者として、研究者や政治家を多数輩出しています。昭和女子大学学長として著名な坂東眞理子さんも、エコノミストの吉崎達彦氏も、また北海道知事となった高橋はるみさんも卒業生です。


田中耕一さんは、東北大学の入学時に戸籍抄本で自分が養子であることを知ったとのことです。工学部に進んだのは、その後の活躍からしても当然のような選択に見えます。

 

田中さんが入学した当時の東北大学は、川内キャンパスで教養部時代を過ごしたはず。3年時からは青葉山の工学部キャンパスに。ドイツ語の単位を落として教養課程に3年かかったとか云々はご愛嬌の範囲でしょう(・∀・)b

しかし、専門分野でしっかり頭角を表して優秀な成績で卒業。

1983年当時、大学院への進学率は現在ほど高くなかったのですが、それにしても学部卒から研究職に就いて、その蓄積が世界中を驚かせるノーベル賞に値するとは、なんとも感動的ですネ。

東北大学時代の田中さんについては、そう多くの逸話は分かっていません。真面目に勉強に打ち込んでおられたことでしょう。

青葉山キャンパスです。

全くの余談ですが、昔の仙台には路面電車が走っていました。今では地下鉄東西線が見えていますが、個人的には乗ったのことがありません。

さらに余談。伊坂幸太郎氏(伊坂幸太郎さんの出身大学と出身高校)の小説には多々、何かと仙台市内が出てきます。小説にも出ている地点で、ちょっと恐ろしい場所として知られていた八木山橋の渓谷はどこかーーーいま、地図で見つけられませんでした。

東日本大震災のときには、青葉城址の石垣も壊れ、一部立ち入りができなくなっていましたが、現在はおそらく完全に修復されていることでしょう。

東北大学の出身者は各方面で多々、活躍しています。工学系では、東北大学元総長の西澤潤一氏もいます。森雅子議員も法学部卒業です。遡ると小説家の北杜夫氏も医学部の卒業。魯迅も、高浜虚子もーー。

 

ノーベル賞受賞のニュースが流れた年は、青少年の将来の夢に「科学者」関連が増えるという話を聞いたことがあります。自然科学分野に限りませんが、優れた研究は、子供たちの未来にも影響しています。


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